西多摩の林業の中でも、大久野の林業についても忘れてはいけないものでしょう。現在の日の出町です。
この地は江戸時代の明和年間からの有名な塔婆林業地です。お墓に立てる塔婆のことです。戦後も日本の代表塔婆生産産地でした。塔婆は主として樅を使います。それは墨の染み込みがきれいだからといわれています。そして、このあたりには樅の天然林が多く自生していました。現在は天然樅が、「空気が汚れたせいか、少なくなったよ。樅は公害に弱い木なのかな。」(注1)と減り、多くが外材に頼っています。が、この地域を歩くと現在でも、塔婆材があちらこちらに立てかけてあるのが見られます。板を斜にかけてある姿は、どこか違う空間に迷い込んだ錯覚を感じさせてくれます。
大久野を中心として、西多摩の山に自生していた樅は、杉桧とともに伐採されて、多くは塔婆にされていました。太い樅の木を伐出するために、木挽きが山に入って人が持てる大きさにしたという話も残っているぐらいです。今のところ山での木挽きを行っていた人の話は聞くことができないでいます。木挽きと杣の話(注2)は後で述べる栗の話と共に、現在資料がほとんどありません。
さて、樅というと現在は、家の材としてはほとんど使われていません。水に弱く腐りやすいからだということからです。しかし、この地方では床材によく使われています。削りたては、白くきれいな肌です。梁にも使ったという話も聞きました。これも「正解」の建築材の使用法から外れているようですが。今の建築士の何人が「スギ・ヒノキ」以外の東京の木での家作りを考えるでしょうか。しかし、「正解」ではない家つくりがそこにはあったということは事実です。
樅は自生したもの、天然のものです。植林をしたという話は聞きません。樅で修羅を作ったという話は聞きましたが、天然の純林での伐出だったのでしょうか。多くは、杉桧の中にぽつんと生えている感じだったようです。
樅の出材は先ほども書いたように木挽きとの関係があるのでしっかりと調べたい一つであることは事実です。(注3)
樅が出たついでに栗について話をしたいと思っています。桧原の親父が、山梨で栗の枕木を出した時に修羅を作ったという話を聞きました。この西多摩地方での、栗材の搬出は聞いておりません。しかし、桧原村は栗の枕木の産地でした。(注4)大正時代がピークのようで、栗の原生林は切り尽くされています。栗の枕木生産は、山での伐採と共に、杣(木挽きではなく)が製材して、伐出をしました。当然川流しもしました。
桧原の原生林が切り尽くされる前に、青梅や五日市の原生林はすでに切り尽くされていたという見方はできるでしょう。原生林を切り出す技術は「木曽式伐木運材図会」に描かれているものとそう違わなかったかもしれません。そう言い切りたくない気持ちはありますが、ここではそういうことにしておきましょう。
栗の産地であった時の伐木出材技術が、私が聞いた親父の、枕木で修羅を作った技術とつながっていることをここでは確かめておきたいと思います。それらの資料はありませんが、それはつながっていたと見て間違いないはずです。親父が言う「枕木で箱修羅を作って、それに枕木を流すのよ。帰りはそれ(枕木)に乗って帰ってくるのよ。他の人は誰もやらなかったがな。」枕木の搬出を行っていた、桧原の木屋師(伐木搬出などに関わる人をこのように言う)の技の伝承をそこに幻のようだが、確かに感じます。
東京の林業は杉・桧林業だけではなかったということをここでは確認をしておきたいと思います。そして、このような林業の歴史がどうして語られていないのか、林業の歴史を「林業文化」をないがしろにしている「正解」の林業とはなんなのでしょうか。と付け加えておきたい気持ちです。
注1 東京の林業家と語る会第三回講演録より
注2 木挽は丸太を縦引き鋸で切り、板材のすることをさします。
杣は金太郎の鉞のようなもので、丸太を角材にすることをさします。筏を流す時に角材にするのは杣削りといって、鉞で作ります。鋸で挽いたものでは、砂が入るので、杣削りを好みました。
注3 木挽きのことは樅だけの問題でなく、駄板(へぎ板)とのこともあるがここでは一応触れないでおきます。
注4 桧原村史研究4
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その後……
「日の出町史」によると、元禄時代文右衛門と惣兵衛が伊勢参りの帰りに介抱した僧から卒塔婆作りを教わった、とあります。また、卒塔婆作りは林業をする者の副業で、戦後になると専業になってきた、ともあります。
木馬道です。この辺りでは「ソリミチ」といいます。高さはその場所ごとに違います。高いところでは10尺も20尺もあります。その上を木馬を曳いて下りていきます。間違えれば大きな怪我になります。木馬が一番死亡事故が多かったのがよく分かります。
線路のようなバギの上を木馬を引きながら歩くのは、「目をつぶって歩けないとな。」という技量が必要でした。