前回は「えだうち」と「えだぶち」について書きました。今回は間伐について書いてみたいと思います。
間伐は何のためにやるのでしょうか。光調整と混み合ってきたので間引きの意味もあるのかもしれません。生長を考えると間伐をしたほうが、早く太りやすくなることもあります。優勢間伐・劣勢間伐と言う言葉もあります。
間伐がなかったというと、植林後伐期まで本数は変わらなかったのでしょうか。そんなことはありませんでした。伐期には三分の一程度へっていました。それは自然淘汰されたのでしょうか。しっかりと伐り取られたのでした。ではなぜ間伐ではないのでしょうか。
植林後10数年たつと、木の生長が一様でなくなってきます。植林後からその傾向はありますが、それが著しい形であらわれてきます。生長の早い木の下に、遅れた木が育つと日が当たらなくなってきて、ますます生長が遅れます。そのような状態に置かれた木は、だんだんと枯れてきます。間伐の遅れた山にはいると、枯れた木が目に付くことがあるでしょう。そのような状態になる前に、その枯れつつある木を除くのが「除伐」という作業になります。劣勢間伐という言葉がありますが、この場合は間伐のように計算されたものではありません。基本は枯れかかった木を伐るのです。そのような木を「下木(したっき)」といいます。枯れなくても、周囲の木より生長が遅れた木もあります。
よく、「間伐木を持って来たら、一人分の日当が出た。」というのを聞きますが、このような木ですので、持って出てくることも出来たようです。ただ、実際はそのようなことはあまりなかったようです。一部ではありましたが。
除伐木をまとめて山道まで引き出して、そこで皮を剥きます。そしてヤガラ(注1)に積んで、乾燥をさせます。その後トチカンなどで引きだします。当時は木であれば売れた時代ですから、そんなものでも売れました。テコ丸太のような、杭のようなものでもそれなりに売れた時代でした。その中でも足場丸太になるようなものは大事にされたようです。
ところで、本当に間伐は行われていなかったのでしょうか?元締めの山で間伐を行っていたという話は聞きました。その材は50年60年と伐期が長いものを採っていたようです。「山を見れば金持ちかどうだかすぐ分かるよ。だってよ、(間伐されていて)太い木が多いもの。」
そのような山は一部で、主としてはなかったと考えるのがよいかと思います。これに関しては、エダウチも同じことが言えます。
注1 きれいに積まずに適当に積むこと
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その後……
もし、坪1本で1ha植えて、手入れをしないで300年後どうなっているのでしょうか。自然界に落ちた種で生長した木を天然木といいます。一体どれほどの割合で残っていたのでしょうか。
自然に任せて、その恵みを得る生活をしていたらどうなっていたのでしょうか。そんな夢物語を、もう一つのベクトルとして林業を考えるのも大事ではないかと考えるようになってきました。
鉈ですが、カタバと両刃の中間のカタバよりです。見た目はほとんどカタバですが、かすかに両刃らしいです。
口では説明が難しく、見ても分かりませんが、確かに微妙に両刃といえないぐらい両刃です。説明が悪くて申し訳ありません。実物のものをどこかで見てください。
これは雑木の伐採に使ったそうです。と言っても太いものではありません。造林夫の方の話ですが。あくまでも除伐以下の太さをさすようです。除伐の太さに雑木をしたら手間が大変だとは思いますので。
このハンモロが両刃になると枝打ち鉈になります。この道具の使い方についてはまだまだ不明なところがあって、各地域でどの用に使っていたか教えていただけるとうれしく思います。